今回は、自殺についての周囲がいかに気づくか、ということについて考えたいと思います。
よく、「死んだ方がまし」「死んでやる」等、普段からよく口に出す人もいます。そういった人は、自殺の危険が高いのでしょうか?低いのでしょうか?
私は、研修医時代に上司から、「死ぬと普段から口にする人ほど、あまり危険性は高くない。逆に、死ぬそぶりも周囲に見せず、陰で自殺の計画を練っている人の方が自殺に至る可能性が高い」と教えられました。
「死にたい」と頻繁に表現する人はおそらく、死ぬ計画を周知しているというよりは、自分は死ぬほど苦しいんだということを周囲にアピールしていることが多いと思われます。そのように死ぬほど苦しいんだから周囲に分かって欲しい、という状況の場合、周囲の人としては「死ぬほど辛かったんだね」と、本人の気持ちを共感してあげることが重要で、共感により本人の「死ぬ」という言葉が減っていくならば、様子を見ていいでしょう。
また、別のパターンとして、「○○だから死んでやる」とか「○○してくれなければ死ぬ」というように、死ぬという言葉の前に何か条件が入っている場合があります。このような場合、「死ぬ」というメッセージよりは、○○という条件を叶えて欲しいという願望が隠れている可能性があります。
その場合、「死ぬ」という言葉はいわば周囲への脅しに近くなります。たとえば、もし思春期の子供さんが「○○を買ってくれなければ自殺する」と言った場合、親としてはかなり怖いですが、こういった条件付きの「死ぬ」は、深刻さがそれほどない可能性もある、といったことに留意しておくといいでしょう。
危ないのは、普段通り生活していて周囲には自殺するなんて思いもよらないというケースです。ニュースなどでも、「普段は明るい子だった」とか、「全然自殺する素振りもなかった」とかよく報じられるパターンです。こういったケースでは、本人が周囲に気づかれないように1人で悩み、自殺の準備をします。
ですので家族としては、硫黄の入った入浴剤や有機リン等、自殺に関係するものが、奇妙なところに隠して置いてあった場合、本人が元気そうにしていても十分な注意が必要です。「なぜこんなところにこんなものが」「あれ、おかしいな」、こういったちょっとしたことを見過ごさないことが、自殺予防に役立ちます。自殺を深刻に考えていればいるほど、計画的に周到に自殺を進めようとします。自殺に関係するものは練炭や硫黄入り入浴剤、ロープ、有機リン、遺書などたくさんありますが、ふさわしくない場所にあり、隠そうとしている、ということが重要なポイントです。
自殺した人を後から思い起こすと、「そういえば何かおかしかった」ということがよくあります。身辺整理をしていた、大事なものを周囲にあげた、誰とも話さなくなった、等々、ほんのちょっとしたことです。
こんなほんのちょっとしたことを、どうやって見分けるのでしょう?それは、ちょっとひっかかったことがあれば、他の材料を探すことです。「急に部屋をきれいにしたけど、そういえば1ヶ月前からほとんど出かけなくなった」「そういえば、誰かに○○をあげていた」など、おかしいなという材料がいくつも出てきたとき、それはやはり注意が必要です。
とはいえ、上記のことはあくまでも基本知識であって、実際のケースでは見分けというのはなかなかつきにくいものです。迷いがある場合、本人に精神科医療機関に受診するように促してみてはいかがでしょうか。